牧師様へのロザリオ

2014/6/18のフェイスブック記事より


まじょ修行をしています。
2011年の秋から。
(修行内容は、ある日ひょっこり、頭の中に浮かびます。歌をつくったり、自画像をかいたり、まあ、いろいろです。今は、自分カルテをつくっています。)
apartmentの形態を取る前に開いていた、カフェと雑貨のお店を一旦閉めて、それから、あなたは、どうするのですか?
と、問われた時に。
ポロリと出てきた言葉です。
それは、自分とは何か。
ここに生まれてきた意味は。
自分のお役目とは。
そういうことを、探す旅のはじまりでした。
それから、何年か経ち。
何がわかったのか。
何がかわったのか。
まだまだ、自分とは何者で、何処へゆこうとしているか。なんてなことは、へぇ、いっさら。
(へぇ。は、甲州弁で、もぅ。
いっさら。は、甲州弁で、全然。
全くもって、わかんない。って事です。)
でも。
なんで、まじょ修行。って、口からついて出たのか、少しづつですが、分かって来た気がします。
少しづつ、欠片を集めるみたいに。
その中の、ひとつ。
自立していくこと。
生活の面や、物質的な自立も、出来たら最高ですが。いやはや。いやはや。
魂の自立といいましょうか。
自分を律し、何事にも動じることなく、ちゃんと芯(自)を立てて。
動じることがないから、相手や起こる出来事を、尊重することもできる。
わたしの好きなまじょの在り方。
森の中、深くに、動物と暮らし。
日頃は、ひとり、たんたんと、静かに自分の生と向き合い、流れる時間を豊かに感じ。
時に野草なんかを煎じて、訪ねてくる、街に住む、困っている人の役にたつ。
自ら働きかけ、動くのではなく。
たまたま、自分のもっているものが、必要な人に行く。そのくらいのペースで。
子どもの頃、読んだ絵本の中にいたのでしょうか。
記憶の中にあったのでしょうか。
ともすると、孤独の中にいるような。
淋しさ、をも、感じるような。
そんな生活。
けれども、そこには、自立し、自分と向き合うことを、たんたんと受け入れている、潔い清々しさが見て取れて。
きっと、わたしは、そういう人に憧れているのだと思います。
まじょ修行とは言っても、魔法が使えるようになりたい。とか、そういうことは、二の次、三の次。(使えるようになったら、めっけもん♡)
自ら、ちゃんと、立つために。
これが、わたしがまじょ修行をします。って口からついて出た、ひとつの理由だったんだ。
まじょ修行をはじめてから。
わたしは、何がかわったのか。
わたしは、何がわかったのか。
答えは、まだまだ。
わたしのまじょ修行は、これからも続きます。
時に、浮かびあがる喜びの中に。
時に、沈みこむ暗闇の中に。
わたしが、わたしを知るために。
まじょ修行しながら、こしらえております、kanji cards。
今日のポエムボンム石ちゃんのワークショップでは、こちらを使っていただきます。
楽しみー♡
画像は、石ちゃんからのオーダーでおつくりしました、ロザリオ。
石ちゃんは、牧師さまみたいな人です。
今日は、祈りの言葉を、プレゼントしよ〜っと♡
では!
今日も今日とて、まじょ修行。
はっぴーにまいります。イェイ。

まじょ修行のすすめ|Canape

ジュエリーデザイナーCanapeが本当の自分と繋がるよう、「おとめ武士道」を心に掲げ、「まじょ修行」を日々実践していきます。

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